言霊は諸刃の剣寒昴 澤井益市郎
言霊には、さまざまな働きがある。日常の次元から非日常の世界へと昇華すれば、その働きの質量は一段と高まる。言葉そのものが、諸刃の剣であることは、歳を重ねていくうちに種々の体験から実感しているであろう。況してや、俳句の言葉であるならば尚更である。象徴性が求められる俳句では、その剣の鋭利さが問われる。
冬帽子目深に冬帽子売る 長島千恵子
同じ言葉の重ねが気になる場合と、そうではない場合の違いには雲泥の差がある。掲句の場合は、成功している少ない部類に入る。一句全体の歯切れの良さも、さることながら、帽子を売っている人間の描写まできっちりと表現されている。ドキュメンタリーの映像のようだ。
あだし野の凩が来て戸を敲く 赤塚はる江
「あだし野」の代わりに「武蔵野」を置いたとしても、それほどのインパクトはない。このように、言葉の斡旋は時事云々という問題ではなく、言葉の相互作用に拠るのであるから、事実を超えた詩的真実の言葉でありたい。
山十生
(紫2012年3月号/行雲流水より)