2018.01.26 Friday 09:49

俳句スパイスインターネット句会

俳句スパイスインターネット句会 結果

兼題 「百年」

 

数字は得点

*はそのうちの特選の数

 

1 初鏡別の我をり語り合ふ 玉子

 

2 寒苺ケーキの家に住む少年 マヨマヨネーズ

 

3 百年の計は此処から冬桜 はるくん

 

4 瞬きに満たぬ百年冬銀河 人見 2

 

5 百年を生きる時代の初詣 すみれ 1

 

6 グルコサミンセサミンひふみん冬の空 蘭丸 1

 

7 羽化するはまだ先のこと着ぶくれて  Rin 2

 

8 欄干に並びし頭初日待つ 玉子

 

9 繊細と大胆背負い冬登山 すみれ 1

 

10  この胸の何処かにきっと冬薔薇 蘭丸 1

 

11  雪しまく角煮ほろほろしてをりぬ

           Rin 6**  全員が選びました!

 

12  東京に降ればニュースとなりし雪 人見

 

13  鰤しゃぶの前で正座をする少年 マヨマヨネーズ

  

14  輝きを隠し切れぬかふきのたう はるくん 2

 

15  人恋し星の見えない睦月かな 蘭丸 

 

16  瓶の蓋開かぬクリーム春寒し 玉子 2

 

17  化粧水染み込む冬の夜空かな 人見

 

18  大寒の花一斉に色極む すみれ

 

19  胡蝶蘭少年埋もれ眠りおる マヨマヨネーズ 1

 

20  百年も一瞬ですね雪女郎 蘭丸  1

 

21  毛糸玉芯の秘密が暴かれる すみれ   3 

 

22  初夢や百年先の月旅行 玉子 1

 

23  水仙を十階から見る少年や マヨマヨネーズ

 

24  手つかずの寄せ鍋ぐつぐつぐつ  Rin

 

25  風花の流離うやうにマジ卍 蘭丸 

 

26  伝染をしてゆく微笑梅の花 人見 1

 

27  葉牡丹の寄せ植え少年頬をつけ マヨマヨネーズ

 

28  山眠るそして百年二百年  Rin 4

 

29  木枯らしの行く手を阻むビルの風 すみれ

 

30  粉雪に疼く原初の記憶かな 人見 1

 

31  重なる時に重なるものや雪もよひ はるくん 2

 

31  百年の大黒柱雪しんしん  Rin 3

 

 

 

次回締切  2月19日(月)

 

兼題   「自慢」

 

作品   5句以内(通常作品も可)

 

*どなたでも参加できます。

 俳句スパイスネット句会 までメールで投句してください

 


2017.08.21 Monday 10:45

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第13回 「連載を終えて」 

 

鳥海美智子

 

 一年間、私の拙文に目を通して頂き、ありがとうございました。

何事もそうですが一番勉強させて頂いたのは私です。

 

 俳句は生物(なまもの)です。

その時の時流によって花形役者が変わります。

しかし、その流れの中で、名句は残るのです。

 

 7月29日、彩の国ベガ俳句大会が川口リリアで開催され、

講師、宮坂静生先生が「魅力ある俳句」という題で

60年安保以後の俳句を体験的にお話し下さいました。

その内容が素晴らしく、年代と代表句だけを

当日の資料から紹介させて頂きます。

 

 昭和20年代 俳句の根源探求

 炎天の遠き帆やわかこころの帆  山口誓子

 

 昭和30年代 社会性俳句

 彎曲し火傷し爆心地のマラソン  金子兜太

 

 昭和40年代 伝統回帰

 一月の川一月の谷の中      飯田龍太

 

 60年安保以後

 軽快俳句の旗手

  空蝉となりたることをまだ知らず 鷹羽狩行

 

 言葉の本意探求 言霊への憧れ

  春の水とは濡れてゐるみづのこと 長谷川櫂

 

 口語調俳句の普及

  三月の甘納豆のうふふふふ    坪内稔典

 地貌探求 産土(土・水)の再発見
  都会俳句の漠然さへの反発
  霜夜なり胸の火のわが麤蝦夷(あらえみし) 佐藤鬼房
  榛(はん)の沖よりつながって馬肥瞽女(まごえごぜ) 齊藤美規
  逝く母を父が迎へて木の根明く  宮坂静生
  半殺*(はんごろし)とは深熊野の土用波  茨木和生

  *おはぎのこと

 

 アニミズム志向 自然と人間が一体となる

  長生きの朧のなかの目玉かな   金子兜太

  草枯れて地球あまねく日が当たり 大峯あきら

 

 3・11以後 満州・シベリア・戦没者・原発忌

  万里子、勝や黄砂となりて帰りしか  渡辺真帆

  双子なら同じ死に顔桃の花      照井翠

  除染とは地べた剥ぐことやませ来る  伊藤雅昭

  祈るべき天とおもえど天の病む    石牟礼道子

  脱皮するため吹き上がる水である   山十生

  

 以上、難しい事柄を易しい言葉で、時にはユーモアを交えて、

教えて下さいました。

 自分の気持ちを俳句にするのは一回限り、その時の精神を生かす。

素朴なことを直感する。存在者として、日常生活の中で感動を見つける。

体を動かして、自然に向かう。

 

 やはり名句を残すのは、日々の努力と思いました。

 

(「紫」無門集同人)

 

田んぼ


2017.07.21 Friday 11:21

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第12回 「桂信子」

 

鳥海美智子

 

 

 ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  信子  

 

 この句ほど自分が女であることを前面に出した句はない。

昭和14年に桂七十七郎(なそしちろう)と結婚した信子は、

丸2年にも満たない16年9月、喘息発作によって夫は急逝、

信子は26才であった。実家に帰った信子は生涯独身を貫き、

俳号「桂信子」を変えなかった。

 

 ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ

 

 ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜

 

 やはらかき身を月光の中に容れ

 

 窓の雪女体にて湯をあふれしむ

 

 

こちらは初期の代表句であるが、昭和24年第1句集『月光抄』、

昭和三十年代2句集『女身』は社会性に乏しいということで

不評であった。信子は「社会性俳句旋風のただ中、私は14,5年

鳴かず飛ばずでじっとしていた。しかし私はそれでもよいと思っていた。

自分の丈にあった俳句を作り続けていればよい。そんな気持ちだった。」

と述べている。

後年、信子のこのような真摯な俳句人生は、平明で自然と一体となった

句境の作品として結実した。

 

 

 ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く

 

 たてよこに富士伸びてゐる夏野かな

 

 忘年や身ほとりのものすべて塵

 

 冬滝の真上日のあと月通る

 

 青空や花は咲くことのみ思ひ

 

信子は平成7年1月の阪神淡路大震災で家を被災。

 

 寒暁や生きてゐし声身を出づる

 

 長いホテル住まいの後、西宮市の有料老人ホームに入居する。

 

 春の暮われに家といふは無し

 

 夏怒濤海は真(まこと)を尽くしけり

 

 元日やまつさらの空賜ひたる

 

 平成16年12月16日満90歳で亡くなるまで俳句を読み続けた。

 

(「紫」無門集同人)

 

簾

 

 

 

 

 

 

 


2017.06.20 Tuesday 09:45

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第11回 「細見綾子」

 

鳥海美智子

 

 

 ふだん着でふだんの心桃の花   綾子  

 

 「『教科書の俳句の中で一番好きな俳句は』というアンケートに

一番に人気があった」という一文で、作者細見綾子を知った。

綾子の句はあくまでも自然に寄り添い、その中で生きている姿を描き、

自我はない。

 俳人は概ね同じであるが女性俳人、特に綾子は第1句集で自己が完結している。

素直な心から生まれた単純平明な俳句は90才で亡くなるまで変わらなかった。

 

 

 そら豆はまことに青き味したり

 

 でで虫が桑で吹かるる秋の風

 

 冬になり冬になりきってしまはずに

 

 つばめつばめ泥が好きなる燕かな

 

 きさらぎが眉のあたりに来る如し

 

 作者の自解では「二月が来る。眉の辺りに《きさらぎ》という

言葉のさわやかさを感じた」という感性は鋭い。

 

 

 鶏頭を三尺離れもの思う

 

 寒卵二つ置きたり相寄らず

 

 上の2句は同じ空気は吸っているが、距離感があり、常に自立している

作者が良く出ている

 

 

 木綿縞着たる単純初日受く

 

 「ふだん着で」の句から約30年後に詠んだ句であるが、

「正月に私は毎年、木綿縞の着物を着る。(中略)縞というものの

 単純さ、手織りの手触りのある単純さがわたしは欲しいのである。」と

のべている。

 

 

 女身仏に春剥落のつづきをり

 

 これは綾子の代表句である。

「遠いいつからか剥落しつづけ現在も今目の前に剥落し続けている。

生々しさ、もろさ、生きた流転の時間、それ等はすべて新鮮そのものだった。」

とあとがきに書いている。

 

 

 再びは生まれ来ぬ世か冬銀河

 

 何事にも執着しない人であった。

 

 

(「紫」無門集同人)

 

みかんの盆栽

 

 

 

 

 

 

 


2017.05.22 Monday 11:46

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第10回 「鈴木真砂女」

 

鳥海美智子

 

 羅や人悲します恋をして   真砂女  

 

 俳句でドキッとしたのはこの句が初めてであった。

真砂女は明治39年生まれ。23才で結婚したが夫の失踪により

千葉の実家(鴨川グランドホテル)に戻る。

昭和10年、長姉が4児を残し33才で急逝。

父母の願いで義兄と結婚し、姉が俳人であったので

その縁で俳句を始め、海軍士官と恋に落ちる。

掲句は昭和29年の作。昭和32年身ひとつで実家を去り、

銀座1丁目で小料理「卯波」を開店する。

 

 すみれ野に罪あるごとく来て二人

 

 白桃に人刺すごとく刃を入れて

 

 夏帯や一途と言ふは美しく

 

 人は盗めどものは盗まず簾巻く

 

 かくれ喪にあやめは花を落しけり

 

 鍋物に火のまはり来し時雨かな

 

 今生のいまが倖せ衣被

 

 死なうかと囁かれしは蛍の夜

 

 戒名は真砂女でよろし紫木蓮

 

 

 平明で親しみやすい句でありながら、人生の背景が

はっきりと詠み込まれている。私の目標とする俳人である。

平成15年3月14日逝去。享年96才であった。

 

(「紫」無門集同人)

 

杜若

 

 

 

 

 

 


2017.04.21 Friday 12:54

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第9回 「星野立子」

 

鳥海美智子

 

 ままごとの飯もおさいも土筆かな  

 

 初めて読んだ時「俳句って、こんなにやさしくて良いの」と思った。

俳句を始めて30数年、この一見すると簡単で優しい句を作ることが、

いかに難しい事であるか骨身に沁みている。

掲句は樹子23歳、父虚子に勧められてはじめて作った俳句である。

 

 しんしんと寒さがたのし歩みゆく

 

 大仏の冬日は山に移りけり

 

 昃(ひかげ)れば春水の心あともどり

 

 いつの間にがらりと涼しチョコレート

 

 暁は宵より淋し鉦叩

 

 

 立子第1句集「立子句集」は昭和12年に刊行された。

23歳から34歳までの句集である。

虚子はこの句集の序文を記しているが、現代にも通じる

「写生の心」と思い抜粋する。

 

 ・・・自然の姿をやはらかい心持で受け取ったままに諷詠するといふことは

立子の句に接してはじめて之(これ)ある哉(かな)といふ感じがした。

写生といふ道をたどって来た私はさらに写生の道を立子の句から教はったと

感ずることもあったのである。それは写生の目といふことではなくて

写生の心といふ点であった。其(その)柔かい素直な心はややもすると、

硬くならうとする老の心に反省をあたへるのであった。

 

 美しき緑走れり夏料理

 

 囀りをこぼさじと抱く大樹かな

 

 わたしの大好きな句である。

人間中心でない価値観、人も他の生物も宇宙の流れの中の一つにしかすぎないと

いふ俳句観、「俳句は極楽の文学でなければならぬ」といふ虚子の主張は年齢と

ともに理解出来るようになった。

立子の素直な心でおおらかな俳句は俳句の楽しさと勇気を与えてくれる。

 

 

(「紫」無門集同人)

 

つくばい

 

 

 

 

 

 


2017.03.24 Friday 10:41

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第8回 「橋本多佳子」

 

鳥海美智子

 

 雪激し抱かれて息のつまりしこと   多佳子

 

 俳句とはこんなに女の情念を品良く描き出せるのかと驚いた。

橋本多佳子は18歳で橋本豊次郎と結婚し、38歳で夫を喪った。

豊次郎はもともと病的で結核療養ののち昭和12年に死去した。

掲句は昭和23年から26年に作られているから、月日の経過と共に

内奥に沈殿していた感情を俳句の力によって引き出したのであろう。

 

 雪激し夫の手の他知らず死す

 

 雄鹿の前吾もあらあらしき息す

 

 罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき

 

 夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟

 

 寒月に焚火ひとひらづつのぼる

 

 乳母車夏の怒濤によこむきに

 

 祭笛吹くとき男佳(よ)かりける

 

 上記の句は第三句集『紅絲(こうし)』(昭和26年刊)に

収録されており、晩年の格調高い句境より多佳子らしさが一番良く

表現されていて、私の好きな句集である。

 

 多佳子は大正11年(1922年)杉田久女に俳句の手ほどきを受け、

昭和10年、36歳で生涯の師、山口誓子に会い、本格的に俳句を学ぼうとする

昭和12年に夫の豊次郎と死別した。

 

 4人の子供の母として、自立しながら俳人の道を歩むこととなった多佳子は

内なる自分を解放し、見事に結実させて、昭和俳句を代表する女性俳句の

第一人者となった。

 

 

(「紫」無門集同人)

 

雪

 

 

 

 

 

 


2017.02.21 Tuesday 07:42

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第7回 「井上井月」

 

鳥海美智子

 

 井上井月(いのうえせいげつ)は文化5年(1822)

新潟県長岡に生まれ、明治20年(1887)2月16日

長野県伊那谷でなくなった。享年66才であった。

 

 「虱(しらみ)井月」「乞食井月」と呼ばれていた井月を

世に出したのは下島勲(1869〜1947)。生家は晩年まで

井月の面倒を見、井月没後、ちりぢりに埋もれた句を集めて

大正10年、没後34年目に『井月の句集』を刊行。

この書によって、井月は俳句史上注目すべき俳人となった。

 

 井月がはじめて伊那に来たのは、37才頃で約30年間、

野宿することもなく、誰かが手をさしのべた。

それは「姿は乞食、書はお公家さん」といわれるほどの

高潔な人柄で、見る目のある人びとは丁重にあつかった。

 

 井月の遺した俳諧雅俗伝には

 

○俳諧の詞は俗語を用ゆるといへども心は詩歌にも劣るまじと

 常に風雅に心懸くべし

○句の姿は水の流るる如くすらすらと安らかにあるべし

○木をねじ曲げたるようごつごつ作るべからず

○良き句をせんと思うふべからず

○只易やすと作るべし

 

 等、今日の私達にも見習う言葉が続く

 

 井月は芭蕉に心酔していた。

「翁の日」は芭蕉忌のことである。

 

我道の神とも拝(おが)め翁の日

明日しらぬ小春日和や翁の日

 

旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉

旅人の我も数なり花ざかり  井月

 

芭蕉は「菰(こも)をかぶる」つまり乞食となることを

願望しながら亡くなったが、井月は実際に乞食となって

死をまっとうした。

 

 手元から日の暮れ行くや凧

 

 恋すてふ猫の影さす障子かな

 

 柳から出て行舟(ゆくふね)の早さかな

 

 手枕の児にちからなき団扇かな

 

 名月や院に召さるる白拍子

 

 程近くなればかたげる日傘かな

 

前に作った句であったが臨終の前に乞われて書いた

 

 何処(どこ)やらに鶴(たづ)の声聞く霞かな

 

(「紫」無門集同人)

 

障子

 

 

 

 

 


2017.01.24 Tuesday 10:14

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第6回 「金子兜太」

 

鳥海美智子

 

 水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る

 

 銀行員等(ら)朝から蛍光す烏賊のごとく

 

 湾曲し火傷し爆心地のマラソン

 

 手術後の医師白鳥となる夜の丘

 

 どれも口美し晩夏のジャズ一団

 

 三日月がめそめそといる米の飯

 

 人体冷えて東北白い花盛り

 

 暗黒や関東平野に火事一つ

 

 梅咲いて庭中(にわじゅう)に青鮫が来ている

 

 冬眠の蝮の他は寝息なし

 

 平成28年の流行語大賞は「神ってる」であった。

プロ野球広島カープの事らしいが、私が最初に浮かんだのは

「金子兜太」である。兜太ほど「神ってる」人はいない。

それも高いところに祀られている神ではなく、

野山を駆け巡り庶民の目線で平和を願う、人間くさく、

肉感的な日本古来の神である。

「海程」同人安西篤が兜太の魅力を具体的に説明しているので

それを引用する。

 

 『知性や人柄というよりは感受性や気分、風土の面白さに向かう。

  むしろ兜太自身が人間を面白がっている面が多分にある。

  指導するというより楽しんでいる。兜太の指導する句会や

  教室が常に活気があり楽しい雰囲気に包まれている理由は

  そこにある。

   歌人の佐佐木幸綱は、その名手ぶりの秘密を

  「頭脳ではなく〈肉体〉で認識し、思考している感じが

   こちらにびんびんと伝わって来る」という。』

 

 「頭脳」でなく「肉体」で認識し、思考している事が私には

「神ってる」と思えるのかも知れないが、言葉では語り尽くせない

「神がかり」的なものを兜太の俳句・講演・対談から感じる。

 

(「紫」無門集同人)

 

上棟

 

 

 

 

 


2016.12.20 Tuesday 10:34

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第5回 「森 澄雄」

 

鳥海美智子

 

 除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり

 

 雪国に子を生んでこの深まなざし

 

 妻がゐて夜長を言へりさう思ふ

 

 木の実のごとき臍もちき死なしめき

 

 澄雄は昭和17年に応召され、ボルネオに出征し、

惨憺たる行軍から奇跡的に生還し、21年に復員した。

 昭和22年、佐賀県立鳥栖高等女学校の教師となり、

翌年同校で知り合った内田アキ子と結婚する。

 第1句集『雪櫟(ゆきくぬぎ)』のあとがきに、

「書名『雪櫟』はいま僕が住んでいる武蔵野の一隅、

北大泉の茅屋から眺められる四囲の風景からとった。

六畳一間の、しかも板間の小家に親子五人の生活を

送ってゐる」とある。

 一番苦しい時に助け合い共に過ごした妻への思いは

名句として結実した。

 澄雄は現代俳句をどのように見ていたのであろうか。

昭和42年に書かれた俳論から引用する。

 

 現代俳句が、子規の客観写生からはじまって、人間探求・

生活俳句・社会性俳句、そして今日の造形、抽象の前衛に

至るまでさまざまな論議を重ねて進展してきたのは、

それはそれとして大きな進展であろう。だが、概ね実に居て

実を行い、そのなかで「あそび」は単なる「弄び(あそび)」

と化し、そして人間探求派以来、現代俳句が尖鋭になれば

なるほど見えてきたものは、高々実生活の泣き笑いか、或いは

ヒラヒラする人間心理や意識のかけらではなかったか、という

思いが僕にはある。

 

 澄雄は近代俳句の主流である「写生」に対しても常に疑念を持ち、

師である加藤楸邨の「人間探求派」に対しても第三者の目で冷静に

見つめていた。

 「悠久の時間の中に一瞬のまたたきほどに短い一生をいとおしむ」

が澄雄の俳句である。

 

億年のなかの今生実南天

 

冬の日の海に没る音をきかんとす

 

年過ぎてしばらく水尾のごときもの

 

聞きほれて二度目はあはれ手鞠唄

 

ぼうたんの百のゆるるはゆのやうに

 

行く年や妻亡き月日重ねたる

 

 最愛の妻アキ子夫人は昭和63年に逝去、澄雄は平成

22年8月18日没。91歳であった。

 

(「紫」無門集同人)

 

南天

 

 

 

 

 


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