2012.10.26 Friday 10:08

去年の紫 1



死は大いなるわたくしごと天高し   六車淳子

俳句を書く場合、ディテールを執拗に描くものと、大まかに描く場合の両極がある。どちらが良く、どちらが悪いということはない。要は、どちらにしても作者の狙いが、きっちりと描ければ良い訳である。死を<大いなるわたくしごと>と感取した作者には脱帽する。俳句でしか言い得ない世界を見事なまでに顕在させている。

御堂まで道案内のこぼれ萩    桝村節子

道の案内は、人間が人間を案内するのが一般的である。それが、ここでは御堂までの案内役が<こぼれ萩>だという。このようなものの捉え方は詩人の眼である。こうすることによって詩の領域が広がって来る。常識の世界には限界がある。詩的想像力の世界には限界がない。


山噂柔
(紫2012年1月号/行雲流水より)

夕暮れ










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