俳句を書く場合、ディテールを執拗に描くものと、大まかに描く場合の両極がある。どちらが良く、どちらが悪いということはない。要は、どちらにしても作者の狙いが、きっちりと描ければ良い訳である。死を<大いなるわたくしごと>と感取した作者には脱帽する。俳句でしか言い得ない世界を見事なまでに顕在させている。
御堂まで道案内のこぼれ萩 桝村節子
道の案内は、人間が人間を案内するのが一般的である。それが、ここでは御堂までの案内役が<こぼれ萩>だという。このようなものの捉え方は詩人の眼である。こうすることによって詩の領域が広がって来る。常識の世界には限界がある。詩的想像力の世界には限界がない。
山噂柔
(紫2012年1月号/行雲流水より)