2016.12.20 Tuesday 10:34

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第5回 「森 澄雄」

 

鳥海美智子

 

 除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり

 

 雪国に子を生んでこの深まなざし

 

 妻がゐて夜長を言へりさう思ふ

 

 木の実のごとき臍もちき死なしめき

 

 澄雄は昭和17年に応召され、ボルネオに出征し、

惨憺たる行軍から奇跡的に生還し、21年に復員した。

 昭和22年、佐賀県立鳥栖高等女学校の教師となり、

翌年同校で知り合った内田アキ子と結婚する。

 第1句集『雪櫟(ゆきくぬぎ)』のあとがきに、

「書名『雪櫟』はいま僕が住んでいる武蔵野の一隅、

北大泉の茅屋から眺められる四囲の風景からとった。

六畳一間の、しかも板間の小家に親子五人の生活を

送ってゐる」とある。

 一番苦しい時に助け合い共に過ごした妻への思いは

名句として結実した。

 澄雄は現代俳句をどのように見ていたのであろうか。

昭和42年に書かれた俳論から引用する。

 

 現代俳句が、子規の客観写生からはじまって、人間探求・

生活俳句・社会性俳句、そして今日の造形、抽象の前衛に

至るまでさまざまな論議を重ねて進展してきたのは、

それはそれとして大きな進展であろう。だが、概ね実に居て

実を行い、そのなかで「あそび」は単なる「弄び(あそび)」

と化し、そして人間探求派以来、現代俳句が尖鋭になれば

なるほど見えてきたものは、高々実生活の泣き笑いか、或いは

ヒラヒラする人間心理や意識のかけらではなかったか、という

思いが僕にはある。

 

 澄雄は近代俳句の主流である「写生」に対しても常に疑念を持ち、

師である加藤楸邨の「人間探求派」に対しても第三者の目で冷静に

見つめていた。

 「悠久の時間の中に一瞬のまたたきほどに短い一生をいとおしむ」

が澄雄の俳句である。

 

億年のなかの今生実南天

 

冬の日の海に没る音をきかんとす

 

年過ぎてしばらく水尾のごときもの

 

聞きほれて二度目はあはれ手鞠唄

 

ぼうたんの百のゆるるはゆのやうに

 

行く年や妻亡き月日重ねたる

 

 最愛の妻アキ子夫人は昭和63年に逝去、澄雄は平成

22年8月18日没。91歳であった。

 

(「紫」無門集同人)

 

南天

 

 

 

 

 


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