2017.02.21 Tuesday 07:42

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第7回 「井上井月」

 

鳥海美智子

 

 井上井月(いのうえせいげつ)は文化5年(1822)

新潟県長岡に生まれ、明治20年(1887)2月16日

長野県伊那谷でなくなった。享年66才であった。

 

 「虱(しらみ)井月」「乞食井月」と呼ばれていた井月を

世に出したのは下島勲(1869〜1947)。生家は晩年まで

井月の面倒を見、井月没後、ちりぢりに埋もれた句を集めて

大正10年、没後34年目に『井月の句集』を刊行。

この書によって、井月は俳句史上注目すべき俳人となった。

 

 井月がはじめて伊那に来たのは、37才頃で約30年間、

野宿することもなく、誰かが手をさしのべた。

それは「姿は乞食、書はお公家さん」といわれるほどの

高潔な人柄で、見る目のある人びとは丁重にあつかった。

 

 井月の遺した俳諧雅俗伝には

 

○俳諧の詞は俗語を用ゆるといへども心は詩歌にも劣るまじと

 常に風雅に心懸くべし

○句の姿は水の流るる如くすらすらと安らかにあるべし

○木をねじ曲げたるようごつごつ作るべからず

○良き句をせんと思うふべからず

○只易やすと作るべし

 

 等、今日の私達にも見習う言葉が続く

 

 井月は芭蕉に心酔していた。

「翁の日」は芭蕉忌のことである。

 

我道の神とも拝(おが)め翁の日

明日しらぬ小春日和や翁の日

 

旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉

旅人の我も数なり花ざかり  井月

 

芭蕉は「菰(こも)をかぶる」つまり乞食となることを

願望しながら亡くなったが、井月は実際に乞食となって

死をまっとうした。

 

 手元から日の暮れ行くや凧

 

 恋すてふ猫の影さす障子かな

 

 柳から出て行舟(ゆくふね)の早さかな

 

 手枕の児にちからなき団扇かな

 

 名月や院に召さるる白拍子

 

 程近くなればかたげる日傘かな

 

前に作った句であったが臨終の前に乞われて書いた

 

 何処(どこ)やらに鶴(たづ)の声聞く霞かな

 

(「紫」無門集同人)

 

障子

 

 

 

 

 


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