忌日俳句、というのが正式の呼び名かどうかはわかりませんが、歳時記には文学者を中心にいろいろな人の忌日(命日)が季語として載っており、忌日を詠み込んだ句も多数あります。「芭蕉忌」や「一茶の忌」などといういい方が一般的ですが、芭蕉忌は「時雨(しぐれ)忌」と呼ばれることがよくあります。これは芭蕉が亡くなったのが10月12日(陰暦)で時雨の季節であること、時雨は芭蕉が好んで詠んだ句材であったことなどによるようです。亡くなった季節やその作品にちなんだ忌日の呼び名としては、正岡子規の「糸瓜(へちま)忌」(9月19日)や太宰治の「桜桃(おうとう)忌」(6月19日)などが有名です。これらの呼び名はその忌日の季節が一目瞭然ですが、たとえば「一茶忌」などでは季節がわかりにくいですね。
一茶忌の雀の家族焚火越す 秋元不死男 (焚火:冬)
一茶忌やふかぶか掘りし葱の畝 安住 敦 (葱:冬)
一茶忌や雪とっぷりと夜の沼 角川原義 (雪:冬)
最近は何でもかんでも季重なりは禁忌という向きもあるようですが、これらの例を見ても、特に忌日を詠み込んだ俳句に関しては、あまりやかましく季重なりを言うのはどうなのかなと思います。
ちなみに一茶の忌日は陰暦11月19日。
それを知った上で読むと、
飄々と雲水参ず一茶の忌 飯田蛇笏
などのように、「飄々と雲水参ず」という上五中七と「一茶忌」という下五におかれた季語とが相まって、冬ざれの空気感・季節感を十分味わうことが出来ます。ですから忌日がいつかは知っているに越したことはありませんが、それに寄りかかりすぎて作句をすると独りよがりのわかりにくい句になる危険性がないとはいえません。
明日11月17日は紫の先師、関口比良男の命日にあたります。
また忘れ咲きに逢ひたる婆娑羅の忌 山十生