2016.11.22 Tuesday 16:45

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第4回 「加藤楸邨」

 

鳥海美智子

 

 鰯雲人に告ぐべきことならず   楸邨

 

 初学の頃、この句を読んで、こんなにはっきりと

自分の心を詠み、その言葉が季語にぴったりであることに

感動した。それから、楸邨の句が歳時記の中で、別段の輝きを

持っていることに気づいた。

 

 楸邨は昭和16年8月号「寒雷」の〈真実感合〉において

「(前略)俳句魂の高さは俳句を通じてしかつかめない。

把握と表現が一枚になるためには、真実感合という態度に

徹する外ないと、私は考えている。(中略)自然を把握するにも

用意された美的趣味などすてて、一念凝って自然に立ち向か

わなくてはならないと思う。俳句用の眼鏡などはずしてしまって、

自分そのもので立ち向かうのである。そして、そこにあらわれる

自然そのものの真実に感合しなくてはならない。(中略)

季を排するものは、季を過去の因襲にすぎぬとするが、

季こそ、十七音の目であり感合点である。これは因襲ではなく、

我々の手によって、新たに日々生みかえすべき伝統である。

一句一句に新生すべき伝統なのである。(後略)」

と述べている。

 

(ひきがえる)誰かものいへ声かぎり

雉子(きじ)の眸のかうかうとして売られけり

鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる

おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ

たくあんの波利と音して梅ひらく

天の川わたるお多福豆一列

百代の過客しんがりに猫の子も

 

楸邨は平成5年7月3日に逝去、享年88才であった。

晩年の名句は肩の荷を下ろし、自由自在に作句している。

 

(「紫」無門集同人)

 

花瓶

 

 

 

 

 


2016.10.21 Friday 11:43

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第3回 「小林一茶」

 

鳥海美智子

 

 是がまあつひの栖か雪五尺  一茶

 

 私が長年住み慣れた家を駅前再開発の為、引っ越すことになり、

マンションに移り住んだ時、まず口にした一句である。

 

 一茶にとって柏原は生地であるが、三歳で母に死別、

継母との対立で十四歳で江戸に奉公に出され、

柏原に帰った時は五十歳であった。

 しかし、俳句に充実期を迎え、約九年間で総数約7300句、

年平均800句を作句した。

 生涯では約2万句をつくったが類想・類型も多く、

何度も自己模倣をやっているうちに秀逸な句が生まれたようである。

 

例として

 

うつくしき花の中より藪蚊哉

うつくしき草のはずれの鵜船哉

うつくしき春に成しけり夜の雨

うつくしや雲雀の鳴きし迹(あと)の空

うつくしや若竹の子のついついと

うつくしや障子の穴の天の川

うつくしや年暮(くれ)きりし夜の空

うつくしや雲一つなき土用空

 

 私達もまったく俳句が出来なくなった時、

このように類型を思いつくままに書き出してみると

案外面白い句が生まれるかもしれない。

 

代表句は

 

雀の子そこのけそこのけ御馬が通る

我と来て遊べや親のない雀

名月をとってくれろとなく子かな

雪とけて村一ぱいの子ども哉

露の世は露の世ながらさりながら

 

 一茶にとっては七五調の定型は自由形式であり、

思いがそのまま俳句となっているので、読み手の心には、

なんのわだかまりもなく、すんなりと入ってくる。

 本来、俳句とはそういう形式ではないかと日頃から思っている。

 

(「紫」無門集同人)

 

窓

 

 


2016.09.13 Tuesday 08:59

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第2回 「与謝野蕪村」

 

鳥海美智子

 

 鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉    蕪村

 

この句を初めて読んだとき、蕪村の句であることに驚いた。

私の知っている蕪村は

 

 菜の花や月は東に日は西に

 春の海終(ひねもす)日のたりのたり哉

 

の静の人であったからだ。

掲句は「野分」という題詠に対して、平安後期の合戦にまで

考えをめぐらし、「五六騎いそぐ」として「野分」のスピード感を

共有させている。

 実は蕪村は「歴史もの」の句では右に出る人にいないほどの名手であった。

歴史にも通じ漢学にも深い才能があり、絵画は俳句以前から世に知られる人であった。

また、芭蕉を尊敬し、芭蕉の作風に帰ることを強く提唱していた。

 

 五月雨をあつめて早し最上川   芭蕉

 さみだれや大河を前に家二軒   蕪村

 

 草臥(くたびれ)れて宿かる比(ころ)や藤の花   芭蕉

 草臥れてねにかへる花のあるじかな       蕪村

 

 行く春を近江の人とおしみける  芭蕉

 春惜しみ宿やあふみの置火燵   蕪村

 

 此道や行人なしに秋の暮     芭蕉

 我帰る路いく筋ぞ春の草     蕪村

 

 海くれて鴨の声ほのかに白し   芭蕉

 更衣野路の人はつかに白し    蕪村

 

 麦の穂を便(たより)につかむ別れかな 芭蕉

 夕だちや草葉をつかむむら雀    蕪村

 

 こうして書き出してみると思わず吹き出してしまった。

芭蕉と蕪村の句は似て非なるもので、芭蕉は旅吟であり、

蕪村はほとんどが題詠句であったらしい。

しかし蕪村が連句においてこれだけの句ができると言う事は、

芭蕉の句はすべて暗記していたと思われる。

 

 蕪村の句は2852句もあり選句するのは難しい。

 

 牡丹散って打ちかさなりぬ二三片

 凧(いかのぼり)きのふの空のありどころ

 ゆく春やおもたき琵琶の抱心(だきごころ)

 遅き日のつもりて遠きむかしかな

 

辞世の句は

 

 しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり

 

であるが、没年月日は天明3年12月25日であった。

「初春」と題をつけ、何があっても人の世には春が来ることを暗示した。

蕪村は人間を見る目が優しく、市井で暮らすのが好きであった。

 

(「紫」無門集同人)

 

乳母車


2016.08.19 Friday 12:58

俳句つれづれ

俳句つれづれ 第1回 「松尾芭蕉」        鳥海美智子

 

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」

私が『奥のほそ道』に出会ったのは中学の教科書であった。

夏休みの宿題として「教科書に載っている全文を暗記してくること」で、

来る日も来る日もお経を唱えるように諳んじた。

 

その時は国語教師を恨んだが、今となっては財産となった。

俳句を学んでからは、大自然の中で生かされている自分を知った。

 

自然界を見つめ、日々刻々と変化する地球の動きを四季を持つ日本人として、

花、雨、月、雪、風の移り変わり、それに伴う生活の変化、

微妙な心の動きを掬い取り五・七・五の俳句として作る。

思いを共有する仲間は句会として集まり、

同時代をいきている友の句を、読み手は字数が少ない分、

自由に自分の心に反映して、詠み手の気持ちを推し量り、その場で語る。

 

私の所属している「窓の会」は40年以上も続いており、

子育てから始まり、入学、卒業、就職、結婚、孫の誕生、親の介護、夫の介護、

すべての日常を共有し、肉親よりも相手の心情を深く知ることとなった。

 

それは「現在の自分の心境を見つめて詠む」という

先師の厳しい教えがあったからだと思う。

 

 * * * 

 

「高く心を悟りて俗に帰る」

これが芭蕉、晩年の境地で、平明な表現こそが名句であると説いている。

 

さまざまのことおもひ出す桜かな

秋深き隣は何をする人ぞ

山路来て何やらゆかし菫草

閑かさや岩にしみ入る蟬の声

この秋は何で年よる雲に鳥

 

今、読んでも少しも違和感がなく心に染み込む。

すぐ作れそうで、できない俳句である。

「高く心を悟りて」は「生涯、学習せよ」と教えてくれている。

 

 

 

(「紫」無門集同人)

 

 

 

 


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